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執筆者の写真北原 功士

鬼窪浩久先生が放った一言

 鬼窪浩久先生は『ジョジョの奇妙な冒険』作画スタッフとしての先輩である方です。


 そもそもジョジョのスタッフとなり荒木飛呂彦先生の手法や作画について学びたいと思い、少年ジャンプ編集部にそれを伝えたその場で即日採用されたのが、ジョジョという仕事の始まりでしたが、その時点で鬼窪先生の存在は存じ上げませんでした。

 しかしながら、ジョジョの作画に惹かれたきっかけにジョジョにおける緻密かつ重厚なペン画による背景画があったのも確かです。むしろもっとも学びたいのは背景画だったようにも思います。

 作画現場に入り、印象に残っている背景を描いていたのは鬼窪先生だったと知りました。

しかし、鬼窪先生はご自分の連載仕事などもあり、ジョジョの仕事を辞めていました。僕がすんなりと即日採用されたのは、丁度、鬼窪先生がお辞めになったタイミングだったからです。三部けい先生が中心となっている作画スタッフの仕事ぶりも多くは当時まだ20代前半だったのが今となっては驚くようなすごい現場でしたが、鬼窪先生の作画をその場で見れなかったのは無念にも思いました。


 鬼窪先生はとても楽しい方だったようで、仕事場では事あるごとに鬼窪先生の話題となっていました。やはりすでにお辞めになられた、瀧れーき先生の話もよく聞かされており、お会いした事は無いけれど、お二人の人物像は多少は知っているかたちとなっていました。


 ジョジョの仕事は泊まり込みで、その日の作業が終了したあとに仕事場とは別の建物に移動し就寝あるいはゲーム三昧となるのですが、一度そこに鬼窪先生が来たこともあります。しかし当時スタッフの中にいた、いじめっ子が僕が鬼窪先生に近づくのをガードしているのがわかったので、新参者である僕はその時はほとんどお話しを聞く機会とはなりませんでした。


 荒木先生にもそれなりにかわいがっていただき、一方で多大な迷惑をかけ続けた僕も末席をドロドロに汚しつつ、4年半が過ぎ、辞める事になりました。

 当時、ジョジョを手伝いつつ、短いページ数のものも含めれば漫画の連載を二本こなしており、さらに投稿用漫画も描かなければ先に進めない状態でしたので、かなり疲弊しておりそれが辞める理由でした。あとは自分の絵とジョジョの絵の画風の乖離が苦しく、これ以上いても荒木先生の迷惑になると考えたからでもありました。


 ジョジョの最後の仕事を終え、帰宅して明日からしばらくは休んでそれから今後の生活なりを考えようと思っていたところに、鬼窪先生から突然お電話をいただき、ジョジョを辞めたなら自分の仕事を手伝わないかとお誘いくださいました。

 その頃にはジョジョの仕事に入った時の荒木先生や作画スタッフから何かを学びたいという思いもどこかに消え去り、鬼窪先生にお話しを伺いたいという気持ちも消滅していましたが、これもご縁かと思いお受けしました。

 鬼窪先生の方では、こちらのそういった思いなど知る事もなく、人海戦術で一人でも作画人員を増やして仕事をこなしていくのが目的だったでしょう。


 鬼窪先生の仕事場には瀧れーき先生もおり、他にはない特殊な雰囲気をもった現場でした。柳田東一郎先生、さいとー栄先生、加藤やすと先生などのちに漫画家として揺るぎない活動をしていく方々ともここでお会いしました。

 鬼窪先生は思いの外ふざけた人で、入稿が間に合わないので編集部に交渉した結果、締め切りが1日延びた時、本来なら一旦仮眠なりして体勢を整えてから進行の遅れを取り戻し入稿するべきところを締め切りが延びたからといってゲームをし始めたのはよく憶えています。しかし、創作においてはストイックで大いに学ばせていただきました。話すのがお好きな方なので、こちらもいろいろと質問を投げかけ、それに答えるのも楽しそうでした。


 当時、僕は油彩なども始めており、漫画におけるペン画表現にどこか限界を感じていたのですがそんな中、鬼窪先生が持っていた生頼範義先生の画集を見ながら、僕が「こんな絵が描けたら漫画もやめれるのに」とぼやいた時、すかさず鬼窪先生が言ったのが「描けばいいじゃん」でした。

 鬼窪先生はエアブラシの技法を独学で習得しており、漫画のペン画だろうがエアブラシだろうが作画技法のテクニックは誰でも手に入れられると考えていたようです。そういう発言も何度となく聞いておりましたし、鬼窪先生は絵が上手でない人がそういう事を言うと困ったようにアハハと笑ってやり過ごす癖があるのも知っていたので、この人は僕がそういう絵を描けると少なからず本気で言っていると思えました。しかし、それには相当な努力や経験の上で成り立つ話であり、自分がそれをできる自信はありませんでした。


 鬼窪先生と仕事をさせていただいたのは90年代半ばから2000年あたりだったので、もう20年前の話です。

 生頼範義先生の筆致や作画構成のアイデアにはまだまだ追いつけていませんが、アクリル画の技法は独自に習得できたと思います。それには、あの時の鬼窪先生の一言が常に背中を押してくれたように思っています。


 多くの先達の自伝的著書や、実際にお会いしてお話を伺わせていただいた創作者の方々にいろいろ学ばせていただきここまで来ましたが、鬼窪先生の言葉は僕の画業における重要なきっかけとなりました。

 これはご本人に伝える機会がありませんでしたが、なかなかお会いできず、会ってもふざけたバカ話ばかりする人なのでここに書いておこうと思いました。

ありがとう鬼窪先生!割と感謝しています!


 


 

 









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