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執筆者の写真北原 功士

漫画アシスタントの経験

 僕は学生時代にプロデビューしてから20年程度、漫画業界で働いておりました。

 雑誌に漫画を掲載し続けるのも面白かったとは思いますが、主に漫画アシスタントをする事を選びました。

 それは、漫画アシスタントでは自分では苦手な物を描いたり、漫画家の求める絵をかたちにする訓練となる、絵描きとしての利点が大きかったからです。

 もっとも苦しく、かつ勉強になったのは、荒木飛呂彦先生の「ジョジョの奇妙な冒険」であり、さらにジョジョを手伝いながら自分の漫画連載もこなすというハードスケジュールで、タイトな日程でも締め切りを守って、作品を完成させる訓練にもなりました。

 描きたい絵のジャンルなどもあるでしょうが、これから絵を追求していきたい方々にとっても、漫画アシスタントは絵の修行としては、とても有効だと思いますので、選択肢に入れてもよろしいのではないでしょうか。

 できれば、手伝う漫画家の仕事からある程度何かを蓄積したら、別の漫画家の手伝いをするのが良いと思います。

 僕の考えでは、10年も20年も同じ漫画家の手伝いをしている人は、絵描きではなく、人間コピー機だと思っています。 

 すでに古くなった漫画家の下で、描き慣れた絵を描き続ける事が創作といえるでしょうか。僕の経験では、ひとつの仕事場に長年いるアシスタントは、描く描くと言う割にまったく自分の絵を描かず職場にふんぞり返っているような人間が多いです。 

 他人の仕事、他人の創作の下で他人の要求を満たすだけの人生など、創作者の人生とはいえないでしょう。

 あえて他人のイメージをかたちにしなければならない漫画アシスタントは、それまでのハードルをより高くする事になり、画力を上げるには最適な環境ですが、自分の絵で勝負するリスクを怖れ、一生アシスタントのままで終わる罠があるのです。

 もっとも、自分が描きたい絵、世界があり、リスクを厭わない自信がある人は、いずれ自分の仕事で成功するもので、だらだらとアシスタントを続けたりはしないものですが。

 僕は漫画業界というものをそんな風に利用してきましたが、他にも画力を上げたり、プロの仕事というものの理解をしていく選択肢はあると思います。

 これから絵を描いて生きていこうという方は、焦らずにそんなやり方もあると心の片隅にでも置いておくと良いと思います。

 僕は、雑誌に漫画を掲載したり、良い漫画の手伝いをするのはとても楽しかったのですが、やはりイラストが描きたく、自分自身が納得できるイラストを描けるようになるまで少し時間をかけ過ぎたとも思いますが、漫画というものから吸収した要素があるからこそ、クライアントの要求通りにしか創作できないようなイラストレーターにはならないで済んだと思っています。なぜなら、漫画を描くというのは、常に面白いアイデアを探す必要があるのです。その癖がついていて、皆さんに楽しんでもらえるようなアイデアを常に探しています。それは一枚絵にも応用できる習性です。


昭和の怪奇画報がなぜ消えてしまったか。それは、明らかに漫画が持つ面白さに負けてしまったからに違いありません。人は物語を好みます。音楽だろうが、こういったブログの文章だろうが、そこには物語があるはずです。だから、物語を感じさせる娯楽は人気があるのです。

 僕の怪奇画は漫画や映画のように多くを語る事はできませんが、物語の一瞬を切り取るつもりで描いています。

 こういった事は多くのイラストレーターが見逃しているような気がします。かつて漫画というものに時間を割いた事でそれが明瞭に見えたのではないかと怪奇画を描いていて思うのです。

 僕の絵の構図は、漫画を描く事で培ったものだと思います。無論、僕より優れたイラストレーターは沢山おりますが、そんな視点で僕の絵を見ていただくとなるほどと思える部分を見つけてもらえるかも知れません。

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