令和怪奇画報という、書籍名及び全体的な活動を表す名称を考えた時、いくつかの選択肢がありましたがやはり『画報』という言葉が的確だと思いました。
画報という言葉は中国由来で、古くは清朝末期の新聞『点石斎画報』があります。
この新聞は見開き2ページに印刷された絵に文章を加えた、中国のニュースや海外での情報などを伝えるものでした。写真資料などない時代のものですので、絵師たちは想像を広げて情報のビジュアル化に挑み、結果、独創的な絵画技法や間違っちゃってるけど事実より数倍面白い絵を生み出しました。
時代は移り、ビジュアル的にニュースや情報を伝える新聞は、イラストから写真に代わられ、我が国の朝日新聞社の「アサヒグラフ」のようになりました。日本では英語のグラフィックからグラフ誌と呼ばれ、画報という言葉は絵を用いた際に使われる言葉になったようです。
世界画報社による、1946年から50年まで出されていた「世界画報」はグラフ誌でしたが、画報という言葉が使われています。「世界画報」の前身である雑誌の誌名は「グラフィック」なので、グラフィックと画報という言葉の選択に適所対応していたのでしょう。
日本では「少年画報」や「婦人画報」など多くの雑誌名に画報という言葉が使われてきました。かつての雑誌は写真よりイラストが多く使用されていたので、そういった誌名はしっくりきます。
中国語圏では、「中国画報」などがありますので、今もグラフ誌を画報と呼んでいるようです。イラストも写真も「画」という言葉で表せるからなのでしょう。
外来語を好む傾向もある日本では、そのため、写真誌の誌名に使用される言葉にはグラフという言葉が主流になり、昨今では写真週刊誌など、即物的な言語によるカテゴライズをされるようになりました。
しかし、昭和時代の子供であつた僕たちの世代には、画報という言葉は意外と身近にあった気がします。画報という言葉がついた雑誌は戦後日本に親の世代が読んでたものという印象が強いのですが、いわゆる70年代の怪奇児童書と呼ばれる書籍群にその言葉が使われていたからでしょう。
例えば「怪獣画報」「仮面ライダー怪人画報」に対して「日本妖怪図鑑」「地獄大図鑑」のように僕らの世代では、「画報」という言葉と「図鑑」という言葉がせめぎあっていました。「大百科」というのもありましたね。
あの頃はまだまだリアルかつロマンにあふれた筆致をもつ絵師たちが多くいた時代で、怪獣の写真と共にイラストも大きく児童書に貢献していたのです。
当時の僕の印象では、「画報」は少し古臭いイメージで、「図鑑」というのは少し知的かつ現代的で立派なものというイメージがありました。
これには、怪奇児童書の編纂における傾向があるかと思います。
物語性の強いイラスト中心の本には「画報」、カタログ的に妖怪や怪獣を紹介するものが「図鑑」や「大百科」と分けられていたのではないでしょうか。
絵物語や挿絵付きの読み物が主流でなくなっていったため、画報という言葉も使われなくなっていったのだと思います。
かつて、ビデオのような映像を自宅で再現するアイテムが無かった頃、書籍に怪獣の写真が掲載されているのはとてもありがたく楽しい事でした。今この時代、そのありがたさは薄れ、あの頃、ウルトラ怪獣が作品本編とは違う活躍を見せる怪獣イラストの、それでしかあり得ない魅力に気づかされます。
令和怪奇画報を作る意義はそこにありました。カタログ的な妖怪図鑑はいつの時代にも数多く出版されますが、その妖怪と人との遭遇がどんな物語を生むのか、そういった表現と、かつて僕らを現実から異界へ誘い込んでくれた、毛筆で描かれた曰く言い難いあの魅力を再現したい、今後も残したいという事が目的でした。
それゆえ、「画報」という言葉を使うしかあり得ないと判断したわけです。
加えて、日本において画報という言葉そのものが消えゆくのは寂しい気もしています。
SNSなどで「怪奇」という言葉を地球上でもっとも多く使っているのは間違いなく僕だと思いますが、これからは「画報」という言葉もなるべく使っていこうかと思います。
皆さんもぜひ!
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