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執筆者の写真北原 功士

死について

 今日はスキャナーのパーツと画材が必要になったので、10日ぶりに外出しました。足りなくなった絵の具も手に入り、気分良く帰宅するはずがシュンとなって帰ってきました。

 浅草から秋葉原まで歩き、上野の金華堂に立ち寄り画材を買いました。

 雨の中歩き続けたので金華堂の裏にある公園で少し座ってから帰ろうと思ったのですが、公園の入口の地面で鳥が飛ぼうとしている、あるいは立ち上がろうとしていました。原因はわかりませんがどうやら相当な怪我をしているように思えます。リュックの中にナイロン製の手提げ袋があったので、それでくるみ、雨が当たらないよう、木の下の、さらに植木の茂みの下に置きました。先ほどまで必死に動いていましたが、目を閉じて静かに呼吸するだけで、体をなぜても反応はありません。小一時間見守りましたが、状況は変わらないので、帰宅しました。

 夜になり、もっと快適にできるよう何かを持っていこうか、家まで運んで明日病院に連れていこうかと考えましたが、もしあのまま死んでいたらと想像するとその死体を見たくないと強く感じてしまい、結局、何とか回復して元気になっていると思う事にしました。

 この時、死に対し感情を動かされたのが自分でも意外でした。家では小鳥を二羽飼っているので、鳥という生き物に好感を持っているのもあると思いますが。

 以前、僕の絵を褒めた事などない80歳を越える画業の大先輩に、ある絵を褒められたのですが、それは人間の死体の絵でした。映画やドラマ、漫画やアニメの多くで描かれる死体の描写は、僕としてはあまり死というものを捉えられていないと常々感じており、僕は人間の死相を表現するために、そういった絵を描く場合、死体写真を参考にしたりもします。まだまだ死というものの表現ができているかは自分でも納得はできていませんが、日頃のそういう姿勢をその高齢の画家は読み取ってくれたのだと思います。

 見ず知らずの人の死体の写真を見ても多少の感傷はあるとしても大きく感情は動きませんが、生きている時点で関わった者の死は別なのだという事を再認識した次第です。

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