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執筆者の写真北原 功士

人魚の思い出

 祖母の家が神奈川県の生田にありました。よみうりランドという遊園地の近くで、さらには生田スタジオという、仮面ライダーや超人バロムワン、ゴレンジャーなどの特撮ヒーローの撮影スタジオが歩いて行ける距離にありました。   

ロボット刑事の撮影を目撃したり、スタジオの外に放置されているヒーローが乗るマシンや、奇怪な小道具などがあり、子供には楽しい場所でした。

 たしか小学2年生の頃、7歳だったと思いますが、ある日、親に人魚を見に行くと言われ、家族で自動車を走らせたのですが、人魚はよみうりランドにいると言うのです。

 ふたを開けてみればご想像の通り、ジュゴンの展示だったのですが、東久留米の自宅からよみうりランドまでの車中での一時間、最初はわくわくしていた僕は、到着する頃には恐怖でいっぱいでした。

 7歳の僕は、人魚と聞くと童話の挿絵のかわいらしい女の子の人魚を想像しましたが、次に挿絵やアニメで見た人魚はあえて子供に親しめるよう少女として描かれたものであり、実際の人魚は大人の女だろうと思い始めました。

 そして、人間がそうであるように、絵では美しく描かれますが、本物はもっと生々しいものであると想像が膨らみます。人間ではないのだから、皮膚の質感や眼球の色も違うだろう、骨格も人間のものとは若干異なる筈だと・・・。

 想像が作り出した人魚の姿は美しくも恐ろしく、それが水槽の中からこちらを見ているビジュアルが心に浮かび、珍しいものを見れる喜びより恐怖が勝ってしまったのです。

 人魚の正体である、ジュゴンを見た時はなんかキャベツ食べてるなーと呑気な気持ちで観察しましたが、よみうりランドの水族館に到着する一時間の間、僕の現実世界には不気味かつ妖艶な人魚が存在していたのです。あの時、想像した人魚の姿はだんだん曖昧になりましたが、今もぼんやりと心の片隅に残っています。

 少年時代の僕の思い出の中で、とても怪奇的でお気に入りのひとつです。


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