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執筆者の写真北原 功士

引っ越し


 引っ越しをしました。

 これまでは浅草の観光地のど真ん中、六区の伝法院通りの入り口あたりに住んでいましたが、立地的に賃料の割には部屋数も少なく、お嫁を迎えた事で、彼女が造形の仕事で使う機材や材料なども、凄まじく専有面積をとります事が理由。

 吉原やあしたのジョーの泪橋に近い裏浅草といわれる地域に移りました。


 新築戸建てに住むような人とは違い、僕のようなお金も人生の計画性も無い人間は、常に賃貸物件に住むわけで、比較的賃料の安い物件がその対象となりますので、当然、そこにはある程度の歴史というか、かつて幾人かの人が生活した場所という事になります。

 その人たちがまさか、自分が越したあとに日々、怪奇画を描き続けるという変な生き方をしている人間が入るとは思いもしないだろうと想像すると同時に、その逆もあり、僕の前に住んでいた人は、何かとてつもない物の収集家だったかも知れませんし、殺人を夢想するような危険人物だったかも知れません。あるいはかつての怪奇児童書に怪奇画を寄稿した画家だった可能性も無いとはいえません。


 そもそも浅草は、江戸川乱歩や谷崎潤一郎、黄金バットの紙芝居画家である加太こうじなどが存在した場所でありますから、名を馳せた彼らとは違い、ひっそりと自分だけの世界に生きた無名の奇人がいてもおかしくはありません。

 

とりあえず、僕の前の住人は試験管や三角フラスコを山のように部屋に持ち込み、ホムンクルスやキメラの如き、新たな生命の追求に講じていた科学者であると想像しつつ、新たな住所での生活を始めようと思っています。





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